
何かの答えを探して行くなど、探求心が強い人達です
困難な時、あなたの”信仰心”が助けてくれます。

八白が七赤を求めている…という象意が強いのが、このパターンの特徴です。
七赤、八白、九紫と並ぶのが巽乾の通路。
神様の通り道としての象意が強い。
何かのお告げがあると解釈できます。
お告げを求めているとも理解します。

信仰心? 私、宗教は苦手なの…?
信仰心…と言っても、「宝くじが当たりますように…」と
手をすり合わせる様な程度の”信仰心”で良いのです。
勿論、深く深く探求しても良いのですが、
<伽藍信仰>と言って魂の無い仏像を崇め奉るのはいけません。



信仰心が助けてくれるというのは、何かの閃きを受けると言う事です。
例えば、近所の氏神様に参拝した時、
お正月の名残の札や、お飾りを燃やしている場面に遭遇したテレアポの女性が言うには、



先生、燃える炎を見ていたら、色々な人の顔が浮かんでは消え、消えては浮かんで来るのです。それも、笑っているんですね、楽しそうに…
彼女は、参拝後の帰り道に、<気づきました!>と言うのです。
私、今迄、商品の説明ばかりで、笑っていませんでした。
売ろう、売ろう…だけが先行して、ついつい、早口になっていました。
あの炎の中の笑顔の人達は、心底から笑っていましたね。
私のトークの不足は、あの笑顔でしたね。
明日から、お客様と笑顔で話してみようかと思います。電話の前で笑顔を作って笑ってみます。



信仰心が助けてくれたみたいですね
通勤途中の神社での参拝、道端の地蔵菩薩、近所のお寺の鐘楼など、
色々な所に信仰心があります。
神社やお寺の参拝するだけでも、信仰心がついて来るのですか?
ついてきます。信仰は敬う事、リスペクトです。


上図で巽の七赤は仏の世界、乾の九紫は神様の世界です。
7/8/9と並んだ通り道を”神仏の通り道”とするのですが、
九星の相生相剋から火→剋→金となり、九紫の神が仏の七赤を剋するという関係となります。
これの解釈は次の様に理解できます。
仏の世界は、依存、縋る意味合いが強く、仏様、観音様の側に行くと言う感じですが、
神の世界は、<天は自ら助ける者を助ける>と言って、依存体質は切り捨てています。
よって、七赤と九紫の関係は火→剋→金で剋されますが、
信仰心という分野では、八白の力で重ね合わせているのです。
好奇心が強く、内に秘めたる闘争心が強い人です。




本命の八白を中心に見た場合、
九紫は頭脳的プレイヤーで、理屈を述べるのは自分の理論の正当性を誇示する為です。
六白は理屈は後からつけてきます。先ずは動いてみるのです。
三碧は瞬間の行動、動きを重視します。先ずは言葉で相手との距離を測ります。
震乾離の宮に同性グループ星が遁甲しているので、それぞれの星の力が加算加重されています。



月命を中宮にした場合、本命星の位置で潜在的な象意を感じるのが傾斜法ではありませんか?



月命中宮で本命遁甲が潜在的な力を見るのが傾斜法ですが、その逆もと私は考えてみたのです。
本命中宮の場合の月命の遁甲先の象意は、”表面的”に出て来るのではないか…と考えた次第です。
八白中宮の場合、七赤は東南に来ますが、
本命中宮の傾斜法の場合、其処には六白が来ています。
これが、表面的な言動として捉えますが、この場合、好奇心が強いとか、
何事にも関心を示したがる言動が強いとも言えます。
<新説> 傾斜法の鑑定で、
① 月命中宮で、本命検索の場合は、<潜在的な象意>として捉える。
② 本命中宮で、月命検索の場合は、<表面的な象意>として捉える。



表面的な象意は九星の特徴で判るのではありませんか?
本命だけでの象意と本命と月命が合わされた象意は異なります。
例えば、八白本命で月命が七赤の場合、
八白だけの場合は、欲張り、貪欲、連山、高利貸しなどの象意があります。
七赤だけの場合は、不足、笑顔、詰めが甘い、波打ち際などの象意があります。
この、二つが絡み合うと、
欲張りに見えるが、詰めが甘いとか、何かに対して不足感が強く働いている人で、
ただ単に欲張りではない…と言えます。





今日のひと言
占いを長年やっていると、今迄と異なった新しい解釈をしてみたくなる事があります。
これから、<新説>という項目で新規の解釈を述べて行きたいと思います。



最後まで読んで頂きありがとうございました。


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